2018年2月12日月曜日

EDIFIERの最廉価イヤフォンED-i285WH買ったよ

日本では一部にしかまだ知られてない

EDIFIER

海外では相当に高い評価を受けているメーカーで、圧倒的なコストパフォーマンスを更に超える素晴らしいクオリティの製品を出しています。私もモニタースピーカーはEDIFIERです。


そんなEDIFIREでもっとも廉価版のイヤフォンを購入しました。

















ED-i285WH送料込みで¥1520


輪郭に硬質感がやや足りない具合の解像度。
中低域の情報量が適切
高域から超高域までの出音が極めて自然で悪意を感じない



国産有名イヤフォンにありがちな「過度なチューニング」を全く感じさせない自然音域バランスです。
モニターリファレンスとしては解像度が不十分ながら、通常のリスニングでは価格からは考えられないほどの高クオリティ。エージングとともにどう育つかが楽しみです。


https://item.rakuten.co.jp/e-device/4988481760544/

2018年1月26日金曜日

ヒカシューライブ 吉祥寺

昨日は結成40年を迎えるヒカシューの年始ライブに行ってきました。




ヒカシューといえば日本テクノポップ御三家!!1980年代かつてのニューウェーブバンドで、一度聞いたら頭から離れないその唯一無二な特異サウンドは、好き嫌いはともかくインパクトはとにかく絶大でした。その後もずーーーーーーーーーっと活動を続けていて、もうニューウェーブでもテクノポップでもないけど「ヒカシュー世界観」は全く変わらず独自の音楽を追求し続けています。
ヒカシューのライブは全く初めてだったので、行く前までにとりあえずの有名曲を復習して行ったのですが…
過去の有名曲は全く演奏せず、最近のナンバー、特に最新作のアルバムからを中心にセトリが組まれてました。セトリもメンバー間のMCで「じゃああの~曲やる??」みたいなゆる~い感じでして・・・(笑)



ほぼ還暦バンドと言っても良い御大のメンバーですが、その演奏はパワフルの一言!!!!もうね、グルーブ警察も真っ青なくらいにすごいんですよ!!!本当にすごい!!!!
特にベースの坂出さんの質実剛健な職人グルーブはグラミー賞ものでして・・・
三田さんのギターは最高に無機質なのに解脱した魂のような達観したプレイ
清水さんの縦横無尽なピアノ
佐藤さんのだんだんヒートアップするプログレッシブドラム
そして巻上さんの念のこもったテルミンと和合するヴォーカルボイス
還暦迎えてもこんな風に音楽にまみれながら生きていたいなと、心より羨ましい気持ちでいっぱいになりました。



最近、作曲家やそれを目指す方々、コンペに追われたり、制作案件のオーダーを一生懸命にこなしまくって闇雲に活動している、コライトなどに誘われてとにかくチャンスを掴もうとする人々を多く見ますが、その中で音楽を生業にできる人はほんのほんの半握り程度の人です。そして一生懸命に頭を業界にねじ込んでも、多くの人がアホみたいに安いギャラと理不尽な素人上司のオーダーで馬鹿みたいに働かされてゾンビみたいになって音楽作っている人をいっぱい見ます。そんな多くに人々ってせっかく音楽作る仕事に就いたにも関わらず、ほとんどの人が楽しそうではないんです。全く幸せそうに見えないんですよね。



なんか、そういう風に、ほとんど未来も希望も感じない音楽業界のメインストリームとは全く関係なしに、自らの音楽を純粋に追い求め、還暦迎えても本当に楽しそうに音楽やっているヒカシューの皆さんを見て「音楽で幸せになる」とはなんなのかを大きく考えさせられるライブになりました。



あまりにライブが素晴らしすぎて、終了後新作CDをすぐ買いました。




リーダーの巻上さんが気持ち良くサインに応じてくれて、さらに写真まで!!



最近私、JASRAC準会員になったのですが、JASRAC約款委員でもある巻上さんとその辺のお話も交えさせてもらい、本当に優しくしていただきました!ありがとうございます!!

2014年11月20日木曜日

#DTM作曲をなめるな 一連の流れについて④ 〜低きへの流れは止まらない(後編)〜

前回の「人に迷惑をかける低レベルの作家」急増の原因

②同人音楽・特にボーカロイド曲の作曲者がメジャー系レーベルからリリースする道筋がある程度スタンダード化した。


との因果関係をお話したいと思います。

まず、誤解をしないでほしいですが、私は
「同人音楽の発達・拡大、ボーカロイド音楽の隆盛に対しては、大いなる希望と期待をしている」
と大応援している一人だということです。

それこそ自然発生的に草の根から育ち、商業エンターテイメントの悪影響を(それほど)受けずに独自の発展と発達を遂げてきた同人音楽フィールドは「音楽の最も健全なあり方」であろうと思います。私自身もサークル参加に携わる一人として、身近にそのエネルギーと情熱を肌で感じ取っています。
おそらく、これからも多くの新陳代謝を繰り返しながらもますます規模が大きくなり、音楽提供形態の主要な形の一つとして定着するに至るのだろうとおもっています。

その流れの中でボーカロイドの登場はそれまでの音楽制作のあり方に一石を投じるものとなりました。初音ミクが誕生してからの流れはもうここで書くまでもないと思います。特に、ニコ動との連携、メディアミックスへの発展はこれまでの音楽ビジネスモデルにない全く新しい風を起こしたと思います。

実はボーカロイドの発売当時(ミクではなくMeiko等)は今の主流となっているメインボーカルを担当させることが目的ではなく、それこそ仮歌目的や、バックコーラスへの流用目的でした。
当然使用対象者も普段は生身のボーカリスト用の楽曲制作者でした。

正直初代はあまり売れず、言葉通り「仮の仮歌用途」に用いられるのがせいぜいだったものです。
そして、衝撃的なミクの登場でそういったサブ的からメインボーカル用へと一気にボカロ用途が変化し、あとは現在への流れへと一気に突き進んでいくこととなりました。

ここで、これまで絶対になかった新しいクリエーター環境が出現します。


「リアルに歌手と仕事をすることなく歌モノ楽曲を作り上げることが可能となった。」



初代発売の2003年当時はADSLが普及し始めてDTMもやっとPC内完結型が登場した頃で、歌モノのデモを作るにあたり仮歌を入れるというのはプライベートスタジオに依頼ボーカリストを呼んでRecというのがまだまだ一般的でした。
この「リアルな歌入れ」というは作曲家を目指す人間にとってはいろいろな難関が待ち構えていました。

・そのための自宅スタジオの環境構築というのがものすごくハードルが高く、またいまよりも機材全般が高く費用もかなりかさんだ。
・レコーディングセッティング等にある程度のエンジニア技術と知識が要求される。

これらはまだ序の口で、問題はここからでした。

「女性であることが多いボーカリストに家に来てもらわなければならない。」

ここをクリアするために
・十分に社交性があり、かつ信用と信頼のおける人物でさらに将来性がなければならない。
・ボーカリストというDTMで扱う通常の楽器パートとは全く違う特性を十分に理解しなければならない。(ピッチ幅、フォルマント、ボイスチェンジングPoint、子音特性、語句とリズムの相関、ビブラート質、アーティキュレーションの的確な指示・・・)

そして、最大の難関が

「十分に歌心のあるボーカリストの特性をよく把握したメロディで、かつ十二分な楽曲クオリティでないと良いボーカリストに歌ってもらえない。

というものでした。
当時はこういった高いハードルを乗り越えた作曲家のみがコンペという土俵で戦えて報酬を得られました。

そこに、ボーカロイドという上記のハードルを全く必要としない素晴らしいアイテムが誕生しました。
結構、クリエーターの仲間内ではみんなが興味津々で試した人もかなりいたのです。しかし、結局生身のボーカル以上の効果はなく、
すでに十分にボーカリストとの信頼関係を築けている作家にとってはまったく利用価値の無いものでした。

また、採用デモの話をきいてもボカロ使用でのコンペ通過と言うのは私の周りでは聞いた覚えがありません。
(情報ではハ◯プ◯内部のデモ段階ではよく使われていたと聞いています。)


そんな、初代ボーカロイドの話題が風化してた頃の2007年にミクが登場しました。


初代とは全く違うメインボーカル用途、完全なキャラクター設定のコンセプトは「なかなかに面白いものにボーカロイドも変化したな」と十分に思わせるものでした。でも、ここまでの隆盛を予見できたクリエーターは正直当時はいなかったと思います。

ここまでの説明でもうおわかりの方もいらっしゃると思いますが、ボーカロイドの出現によって逆の見方をすれば

・環境構築が容易。
・DTM技術だけでエンジニアスキルはまずいらない。
・対人関係が苦手でも良い。
・専門のボーカル知識がいらない。
・歌心がないメロディでも、楽曲クオリティが十分でなくても良い。

状態でも「ボーカロイドで歌モノ楽曲を完成させることができるようになった。」ということなんです。

ここで、誤解しないで欲しいのは「ボカロP・ボカロ曲全体がそうだとは決して言っていない。」ということです。
動画ランキング等に入る楽曲には十分に歌心のあるメロディ、クオリティの素晴らしく高いものが多々あります。私が心奪われたり、感嘆したり、素直に好きな楽曲もあります。
「あ、これ完全にプロの人内緒でやってるでしょ。」という作品だって結構(いや、すごく)あります。(聞けばわかります)

正直、「メジャーレーベルからリリースされた作品を書いているからプロ。インディーズ、同人はそうでない。」という区分は、いま全く意味のない考え方だと思います。「じゃあプロの作曲家の定義ってなんだ!?」と思う方もいるでしょう。この話はまた違う機会にします。(すごく重要な事です)
それくらいに、ボカロというのは玉石混交の活況あるフィールドで、これからの発展発達がどうなるかはとても興味が有るところです。(頭打ちという声も聞かれてはきてますが・・・

すこし、話がそれ気味になったのでもう一度戻します。
ずばり、ボカロフィールドには上記の逆の見方をした権化のような「歌モノの体裁を成していない残念な楽曲」が多いのもまた事実です。(ボーカロイドだから歌モノ範疇じゃなくて良いんだよ!と思われる方がいるかもしれませんが、もっとそれ以前の音楽的標準基準においてです。)

Twitterでもなんどかつぶやきましたが
・完全に自分の趣味範囲の楽曲
・動画投稿や同人即売会などでの無料配布

するぶんには全く問題がないと思います。
ですが、ボカロが活況あるフィールドということはそれだけイレギュラーなことが生まれる可能性もあったのでしょう。



「リアルに歌手と仕事をすることなく歌モノ楽曲を作り上げる作曲家がメジャー商業ベースで出現した。」




このタイプの「作曲家」が出現しても私はいいと思います。あえて歌手というものを知らないがゆえの個性ある楽曲もあっていいと思います。ただ、そうした場合商業レーベルブレーンの人間がその作曲者に、ボーカリストという極めて過酷で大変な職を務め上げている人間に対しての情報と敬意というものを持たせる教育を絶対にしなければなりません。作曲者とボーカリストと言うのは互いに尊敬しあう存在でなければ良いパフォーマンスが絶対に生まれません。そのためにボーカリストの特性と言うのは作曲家にとって絶対に理解しなければならない要素です。

自分のできないことをしてくれる人間には敬意を払うのが当然と考えます。
でもそこに敬意を払わない人間が「商業レーベルブレーンの人間」にいるんです。作曲家のほうではありません。
本当は作曲家自身がその敬意を自然発生的に持つ人間性を備えるべきなのはもっともなのですが、更なる責任はそれを商業フィールドに引き上げた周りの人間にあります。これは今回の核心を突いてくる非常にデリケートで複雑なお話なのでまた追って違う機会にお話します。(できるといいのですが・・・


②同人音楽・特にボーカロイド曲の作曲者がメジャー系レーベルからリリースする道筋がある程度スタンダード化した。


ここにそれを目指すという新しい機会と共にボーカリストを蔑ろにするという傾向が醸成されてしまった。
→一般作曲者・DTMユーザーの「歌モノ楽曲を作る」基準の平均認識レベルが下げられた。
これは言い過ぎではない事実です。(「歌い手」の問題というのもあるのでしょう・・・

そして、同人音楽の多く作曲者、さらには商業作曲家を目指すという高いハードルを設定してる人でもその影響が蔓延しているのだと思われます。

ボカロPと名乗り、そう呼ばれる方々と生まれた楽曲群が、その世界だけで生き続けることが完結してるならば問題はないんです。
しかし、そのフィールドから商業ベースへの道筋がうまれ、一般的な楽曲制作を目指す土壌というものもうまれてしまっている。

それが、「生身のボーカリストが歌う体裁に全くなってなく、楽曲クオリティもかなり低いお粗末なデモ楽曲」を必然的に増やしてしまっている一つの要因です。


前編・後編と主に大きな要因についてお話しましたが、ここにからんだ実に様々な要素がまだまだあります。
その中にもっと根本的な要因として

・DTMをはじめとした音楽制作環境の劇的な進化と変化

があります。これの功罪はものすごく大きいです。
次回はそこを突っ込んでいこうと思います。
また、そろそろ「じゃあどうしたら良いの?」「いいとか悪いとか言ってるけどその基準って何よ!?」という疑問への回答やサジェスションもしていこうと思います。(音楽には基準がちゃんと絶対値スケールであるんですよ

2014年11月16日日曜日

自分に影響を与えた音楽☆BEST15♪ 第15位


自分の音楽のルーツを再確認してほしく「自分に影響を与えた音楽☆BEST15♪」を選べというお題を生徒に出したことがあります。
なんで15曲かというと10曲だと足らないし20曲だと欲張る方向になるからです(単なるこじつけでした・・・)

これがすごく面白いと評判で、自分も含め他人のルーツを知ることで自分の音楽観を相対化する事ができるという大変意義あるコンテンツとなりました。

ここに、自分のBEST15♪を記していって見ようかなぁと。

第15位

Passepied」Debussy /ベルガマスク組曲 1890

ドビュッシーのピアノ曲。
完全なテクノです。ベルガマスク組曲の最終曲。日本語で「足跡」。この曲の前が有名な「月の光」その後でこれを聴くと別に季節の説明なんかなにもないのに降り積もった雪の中に記されていく「足跡」が情景に浮かんでくるのです。「ドビュッシーとラヴェル」ともに印象派を代表する(それだけでなく現在のポピュラーへの影響力として)2大巨頭なのは異論のないところ。私は作曲技法、構成能力、アンサンブル力、和声展開、ほぼ全てにおいてラヴェルのほうが上であると思う。だがしかし、「メロディ」この一点だけは明らかにドビュッシーが優れている。そんな中でもメロディの秀逸という点でこの「Passepied」がある。この他にも新しい音、響きを開拓する精神、それまでの既成概念を打破する心のベクトル・・・それらの要素が印象派の「第一人者」をラヴェルでなくドビュッシーにしているのであろうと思うわけです。そして、そのベクトルこそが私の唱える「テクノ」と完全一致するものなのです。結論。ドビュッシーがテクノです。 このピアニスト:アレクシス=ワイセンベルグ ドビュッシーに誰を選ぶかでいえば彼一択であると断言!


2014年11月15日土曜日

#DTM作曲をなめるな 一連の流れについて③ 〜低きへの流れは止まらない(前編)〜

前回は、通常の音楽制作常識をはるかに逸脱した信じられない低レベルの作家が急増しているという話をしました。
「急増」した原因は一つではなく様々な要因と環境・業界構造の変化があげられると思います。
これらの要因と構造が変わらない限り「人に迷惑をかける低レベルの作家」は無くならないと思われます。

直接的な原因は大きく2つあります。

①作家事務所が所属(コンペ情報を流すかどうかの審査基準)のハードルをおもいっきり下げた
②同人音楽・特にボーカロイド曲の作曲者がメジャー系レーベルからリリースする道筋がある程度スタンダード化した。

これらにもまだまだ要因はありますがまずはこの2つに絞って背景から掘り下げます。

これは明確な理由があります。
・国民的大人数アイドルユニットが音楽チャートを席巻しはじめた。
通常のコンペなり、依頼案件ならば当然、デモ楽曲が十分なレベルに達していなければコンペ審査対象にならないのですが、この国民ユニット案件シリーズは全くを持ってレベルに関係なく採用されることが多々あります。正直びっくりなレベルで受かることがあります。
この、「低レベルでも採用される可能性がある」ということ自体は問題ではありません。

このユニットの発足当時は修行中のまだ未熟な作家の練習台として楽曲やアレンジを拾ってくれてある意味においてすごく助かったりした方も多かったんです。昔はそういう「はけ口の受け皿」的な立ち位置だったのが、そのままブレークに至って今では一番のドル箱案件になってしまった。
コンペを取り扱う事務所的には一番狙っていきたい場所になった、しかも低レベルでも受かる可能性がある。そこで

「下手な鉄砲数撃ちゃ当たる」

戦法に転換していったのだろうと思われます。

特に、大所帯の事務所、さらに立ち位置的に「実質的に2軍」の事務所の所属作家はまず「国民ユニット対策乱発要員」であるのは確実です。そして、そうでない作家事務所でもHPに所属名が乗せてもらえない作家はその立ち位置である可能性が高いです。

にもかかわらず、(そういう要員であることは基本聞かされないので)自分が「作家事務所に所属してコンペ情報をもらっているんだから一人前の作曲家としてお墨付きをもらっている」
と勘違いをしてしまっている人が大変増えているのだということなんです。

この「国民ユニット案件」そのものは全く問題ないんです。
むしろ、こういう拾い方をしてくれる案件があることは楽曲と作家の多様性、作家の成長へのいい材料としてとても有意義なんです。たとえば、このブレーク前ではハ◯プ◯関係のTVスポットアレンジやイベント案件などがその立ち位置でした。
ようはその案件が小さい仕事だったのが、一番のメジャー案件にのし上がってしまったので、そこ対しての各事務所の捉え方、戦法の変化がそういう人を生み出してしまっている原因になっているということです。

②については次回です。


2014年11月14日金曜日

#DTM作曲をなめるな 一連の流れについて② 〜怒りの引き金〜

私には、音楽制作や講師業の他にもいろいろな周辺の案件があります。その中にコンペへの参加を望む作曲家志望の方への楽曲制作支援。志望者への仮歌ボーカリストのブッキング。また、非公式ながらコンペ楽曲に関する◯◯な案件や、クライアントからの直接な相談(コンペラインに乗る前)など、いわゆる「デモ楽曲」を聞く機会というのは本当によくあります。(私の生徒楽曲を完全に除いてです)
去年くらいにその頻度が更に増えてきたんですが、同時に耳を本当に疑うバリの低レベルなデモ楽曲が信じられないほどにその存在比率が上がっていて、ただ聞いていただけの段階でも「これは本当にやばいぞ」という気持ちが沸々とわいては来ていたんです。

そして、支援とブッキング作業を行う中、対応を進めている中で「もうふざけんな、まじでやってらんねぇ」とブチ切れる楽曲に何曲も出会いました。それらは

・聞いた段階でまず「商品」に仕立て上げることは絶対に不可能
・にもかかわらず、なんとか「商品」の体裁にするためにボーカルを入れてコンペに応募したり、作家事務所へのプレゼンにしようとする
・ボーカルを入れるためには「正確なボーカルトラックデータ:MIDIおよび仮仮歌(作家自身が歌っている場合が多い)」が必要なのだが、「正確ではない」
・「正確なデータ」を求めるにも何が正確か自分でもわかっていない(メロディがそこまで確定していない場合もある)→特にリズム:符割についてが曖昧
・一番確実なデータである「楽譜」が作れない



この時点でまずは「超最低限な音楽制作上のマナー」から逸脱しているのだが
さらに(特にボーカリストとのやりとりで



・歌詞と合わせてそこのとこ(符割りのこと)適当で・・・
「符割」=リズムはメロの音程以上に絶対に崩したり変更したりできないポイントだ。そこに歌詞のイントネーションが絡んでくるので作曲者が一番責任をもって確定しなければいけない。

・おまかせでハモリ入れてください・・・
ハモリはアレンジの作業エリアで決してボーカリストが対応する話ではない

・◯◯さんみたいな感じで「フワッと」させて・・・
◯◯さんのどの楽曲のどこのフレーズかと言うくらい具体例をあげなければ伝わるはずがない。このレベルを言う人間はだいたいボーカリストのキャラと違う無理難題な参考例をふっかけてくる。◯◯さんみたいな人は作曲者が自分で血眼になって探さなければならない(みんなそうしている)


などとありえない要求を出してくる。
そして極めつけが


・ちょっとメロディを変更したいんですけど


絶対に絶対にゆるされない。
変更する予定のある楽曲で人に頼むのがまず間違っている。
そのためにいままでボーカリストが歌を入れた苦労はなんだったのか


これらは
・ボーカリストが歌いやすいように、しっかりと確認をしたボーカルMIDIトラックとその正確な楽譜(メロディ譜)が用意してある。
・あくまでも「仮歌」であって、「仮歌」を入れてくれるボーカリストにオーバーディレクションはしない。
・ハモリ・コーラスはじぶんできっちり作る

こんな当たり前のことができていれば当たり前にトラブルにならないことである。

これが例えば経験が浅く
「仕様がわからないんで迷惑かけるかもしれません。わからないことは質問してもいいですか」という腰が低い姿勢ならばこちらもそういう対応をする。

しかし、上記のほとんどの人間が

俺、作曲家だし、わかってるし」という態度をとる。
特にボーカリストへの態度が本当にひどく、ボーカリストの
・ピッチ幅
・声質
・得意分野・苦手分野
まで伝えているにもかかわらず、まったくその要素を飲み込まず
「ボーカリストだから歌えるでしょ」
という謎の上から目線で指示(それも的外れ)を出す。

ボーカリストは作曲家と同等以上に尊敬されるべき存在だ!


こういうレベルと態度の人間の割合が本当に、本当に増えすぎていて困っていたのです。
それが、

「超有名な作家事務所所属の作家」(めちゃくちゃ実名を出したい!!!

ということを知って(一人や二人じゃなく)
堪忍袋の緒がとうとう切れました。

そして、その人間の多くが(プレゼン予備人含む)同人音楽の活動を平行していること。
特に始末の悪い人間がボカロPからの流れに多いこと。

それらがわかり様々にサンプルをとって情報を収集してましたが、これが単なる悪い事象の重なりではなく、起こるべくして起こる程にそういう人間の存在確率が上がっているという間違いない事実に辿り着き、もうこれは黙って見ているわけには行かないんじゃないかという爆発した思いがハッシュタグ作成へとつながる直接的な原因です。


私が怒りを爆発させているのはそうした、コンペで戦おうとする低レベルの作家、その場に行きたがっている作家事務所プレゼン予備軍ももちろんなのですが、本当にその怒りのベクトルを向けたいのは

「なぜ、そんなにもそういう人間が増えてしまったのか」

という状況を作り出した人間たちであり、それを助長してきた「売り手」の存在、または構造を構築した存在です。

#DTM作曲をなめるな
では、ほんとうはそのところまでもっと切り込むつもりでいたのですが、ハッシュタグの鮮度時間、Twitterのハード的制約でまずは、そういった該当する作家(予備軍)を刺激してとにかく話題にして問題提起をするという第一段階で一応めどをつけてみようと思いました。
案の定、「私の挑発的発言に乗っかってきた」該当者たちが大いに他山の石となって盛り上げてくれて、私の思惑通りに運んでくれました。
また、同時に本当に真剣に音楽に向き合おうとする「応援するべき存在」が想像以上に沢山いて、これもタグをつくって得た素晴らしい成果と思っております。

今度は、
「なぜ、そんなにもそういう人間が増えてしまったのか」
という、議題でお話します。
これも山ほど現段階で大問題を抱えています。



2014年11月12日水曜日

#DTM作曲をなめるな 一連の流れにつきまして①

Twitterにて #DTM作曲をなめるな のハッシュタグにて大きな反響を得るに至りました。
Twitterというツールの特性上、どうしても複雑に要素が絡んだ一連の出来事を記述するのは困難だと思いました。本来私が伝えたかった事よりも「音楽理論の是非」に論点が集中してしまったのは私の力不足によるものと痛感しています。

そこで、当ブログ上にて本当に私が問題提起したかったことをなるべく詳しく順を追って説明、解説をしていこうと思います。

そして、読者の方々の様々な意見をまたいただけたらと思います。

#DTM作曲をなめるな は十分にタグの役目を果たしたとは思いますが、このブログとのリンク点としてしばらくは私もつぶやき、チェックを行っていこうと思います。

わたしが伝えたいことを本当に簡潔に言うならば

「いい音楽の「存在比率」が絶望的に少なくなってきている現状をなんとかして打破・回復させたい。」
「「音楽になっていない稚拙な音楽」を商品として売ろうとする不届きな人間を無くしたい。」

です。

このことは当然私だけでなく、同業(プロの)作曲家多くの方と気持ちを共有していることで、音楽業界(メジャーだけでなく同人・配信・エンターテインメント含め全般)の近い将来を憂い、心配しているのが常となっています。

この現状を生み出してしまっている要素・要因は本当に複雑で多岐に渡ります。ですが。まずは「作曲し・DTMにてサウンド構築を完遂させ商品の礎を提供する」ことを希望する方たちに現状認識と警告を伝えることから始めようと思い立ち。twitterというツールを選びました。

そして #DTM作曲をなめるな ではその目的を果たせなかったのですが、ここでは最終的に一番「駆逐したい輩」を的確に皆さんに伝え、できればそのための動きを発信させたいと考えてます。

この「駆逐したい輩」は「作る側」ではなく、「売る側、特にそれを容認して採用する音楽制作者、制作・作家事務所」にいます。

私も、気持ちでは心配しつつも、自分なりの音楽活動が続けて生活が持続できればよい、という「誰かがなんとかしてくれるだろう・自浄作用で良くなるだろう」他力本願でいましたが、ある一連の出来事が重なりに重なって、溜まっていたウヤムヤ感と何とかしなければ何も変わらないという青臭い正義感、危機的状況の焦燥感が激反応し、あの #DTM作曲をなめるな の流れへと突き進ませることになりました。

こちらのブログでも、内容が内容なのでとても長いコンテンツになるとは思いますが、お付き合いいただければ幸いです。

日常業務の合間に書きますので遅筆をご了承いただければと思います。(がんばります)

まずは、#DTM作曲をなめるな

にて、多大なる貴重なご意見を頂きました全ての方に感謝の意を記します。

この節では本当にありがとうございました。

K-MASERA
北田陽一郎